有の人と無の人、何者にもなれなかった自分とどう向き合っていくか

この記事は24歳彼女いない歴=年齢のフリーターのただの自分語りというか人生観の再確認のような内容になると思います。ただ思考をまとめるための人生のメモ書きのような内容

 

この記事では有の人、そして無の人という表現を多用していきます、簡単に言うと有の人はクリエイター(アーティストやイラストレーターなど)と呼ばれる何かを作り出してそれを生きがいにしている人、何か自分を支える決定的な物や事柄を保持している人の事を指す。その生産的生き方に誰しも一度は憧れを抱くのではないか?と自分では思っている。逆に、無の人は日々のんびり暮らしているが仕事が楽しいわけでもなく新作のゲームが生きがいだ、〇〇のライブに行くまで死ねないなど、有の人が作り出した消費的な有を食らって生きる存在、自分は明らかに後者だ。この記事では有の人への憧れを捨てきれない無の自分について書いていきたい。

この記事は有への憧れを捨てきれない無の人目線で書いてるので有の人から見たら意味不明かもしれないし無の人だってこうだ!とか色々あると思うが人生の感じ方なんか人それぞれなのでこんな生き方のやつがいるんだくらいに思ってくれたら幸いです。

有への憧れ

中学生ぐらいの頃から自分は何者かになりたかった、平凡なサラリーマンになるのは嫌だなあとか具体的に何かしたいというのはないのだけどつまらなく生きるのは嫌だと思っていた、しかし中学、高校を卒業して大学まで行っても自分の中に絶対的な有が現れることは無かった、中高の多感な時期には何か自分の有を探そうとして、絵を描いて見るだとか、実況者になってみようだとか様々な事に手を付けてみた。どれももちろん楽しかった、自分はカードゲームをずっとやっていたのだが本当に面白いと思うし、大好きだと言える。しかし、それでプロゲーマーになって人生を生きて行こうとはなれなかった。これが俺の有だとハッキリと断言できない事ばかり、何事にも有の人になる道は存在しているのだがそこまでにはどうしても至れなかった、その分野で有を得ている人を見ながら目指す有への道はとにかく苦しい、変われない自分をただ甘やかす自分しかいない。もちろん有の人はこれを乗り越えているからこそあんなに眩しく見えるのだろうが自分には出来なかった、ただ消費的な有で無を埋めることで生き絶対的な有を探す人生、憧れと現実のギャップは年々大きくなっていくだけだった。

 

何もない自分との向き合い

大学も半分を超え本格的に人生を考えなくてはいけなくなった、周りはそれぞれの人生を歩み向き合っていく中、自分は何者かに憧れるだけの中学生のままだった、しかしそれなりに成長し世の中を見て、消費的な有を食らって生きる無の人はこの世にたくさんいるという事も分かってきた、もちろんそれは一つの生き方で悪いことでもなんでもない一つの人生なのだと思った。しかし長年追い求めてきた有への憧れを捨てる事ができない自分は今まで自分がしてきた生き方をどうしても捨てきれなかった。

 

大学生活でも有を見つけることが出来なかった自分は大学を留年した、そして周りがいなくなる中、自らの力で生きていく道を選ばないといけなくなった時、消費的な有は意味を失ってしまいただただ無の自分だけが残った、生きる希望も何も湧いてこず大学をサボりただただボーっとして夜には無の苦しみ耐えながら気絶するように眠るのを待った。

そしてこれ以上サボればまた留年だろうという時限界が来た、こんな事で悩むぐらいなら全部なかったことにしてしまおう、ただただ自分が嫌だ、わがままを言いながら泣いた、23歳にもなって全部自分のせいなのに嫌だと言って泣く見た目だけ成長した子供だった、その時親も泣かしたし大学の先生も内心ドン引きだっただろう。しかし10年以上も苦しんでいた思いを吐き出して少しだけ体が軽くなった。この時やっと前述したような有に憧れるちっぽけな自分自身で少し理解する事が出来た気がした。それまでは自分自身が何者なのかがわからない、それがただただ苦しかった。

 

自分という存在と向き合って

自分をちょっぴり理解した自分は大学を卒業すれば自由に生きよう、それだけを考えてなんとか大学を卒業した、周りの人は本当に優しかった、感謝しかない。大学を卒業した自分は就職する事もなく、昔からの自分のちょっぴりした夢を叶えて行こうと思った、そして24歳の誕生日、昔から紫髪のキャラクターが大好きだったので髪の色を紫色に染めて見た、学生生活では出来ないな・・・と勝手に思い込み封印して来た夢を叶えた時ちょっぴり与えられる有じゃなく自分だけの有を感じる事が出来た、それは何もない自分に生きる意味を見出すには充分な出来事だった。今はそんな感じで昔の自分に優しくするようにして生きている、昔恥ずかしいと思っていた女児向けアニメを大好きだと言っていいし(プリティーシリーズには本当に救われた)、やって見たかったデバッガーの仕事をして見たり、自分なんかが・・・と思っていたことにどんどん挑戦していくと自分という存在の理解度がどんどん増えていき長年自分を苦しめていた憧れと現実のギャップが薄まっていく気がした。

 

まとめ

自分を理解し生きていく事で本当に自分のしたいことがだんだんとわかって来た、もちろん有の人になれたわけではないし憧れを捨てきれなくなったわけではない、ただ自分で自分を苦しめる事が少なくなった、これは中学生とかもっと前にしっかりと育てていかないといけないものだったのだろうが自分はやっとこの歳になって自らのアイデンティティを見つけられたのかもしれない、昔のこうなりたい!けど自分なんて・・・と自らを責め苦しめる自分ではなく、自らを理解し向き合う事で絶対的な有を探していく人生にしていきたいと思う。おわり